小林久夫
担当:国語/表現、演劇の講座 博士論文「フリースクールにおける演劇教育の可能性」
「わたし」の可能性 /「彩星学舎」の可能性
文・谷川俊太郎/絵・長新太の絵本に『わたし』 という絵本がある。
「わたし」
「おとこのこから みると おんなのこ」
「さっちゃんから みると おともだち」
「ありから みると でか」
「がいじんから みると にほんじん」……
紹介文には、次のように記されている。「わたしは山口みち子、5才。お兄ちゃんからみると“妹”でも、犬からみると、“人間”。わたしはひとりなのに呼び名はいっぱい。社会関係を楽しく描きます。」
人や動物・ものとの関係によって、「わたし」を呼び表す名称がそのつど変化してしまう。ここに「わたし」をめぐる本質が見え隠れしている。「わたし」とは、「わたし」以外の人やものごとによって規定される「関係」の総体にすぎない。それは、先天的で未来永劫変化することのない、一生涯変わることのない何か、などでは決してない。良くも悪くも、「わたし」はつねに変化する可能性に開かれている。しかし、その可能性は紡ぎだされる関係(=社会/コミュニティー)とともに存在していて、紡ぎだされる関係とともに変化する。「関係」によって「わたし」は創られる。 この絵本はそのようなことを直感的に教えてくれる。
彩星学舎は、「わたし」の可能性を最大限保証できる「学びのコミュニティー(=変化する関係の総体)」であり続けたい。彩星学舎の可能性は、「わたし」の可能性とともにある。